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	<title>話の玉手箱</title>
	<link>http://column.ryuchan.jp</link>
	<description>箱を開けると光を放つコトバの宝石―。個性あふれる２人が、ひと味違った目線と文章でつづる日常のあれこれ。</description>
	<lastBuildDate>Sat, 28 Aug 2010 00:47:18 +0900</lastBuildDate>
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	<item>
		<title>きび</title>
		<description>






開店準備を見守る老犬きび



　

　「きび」は私の犬の名前である。

　

　マルチーズに近い、白い雑種の小型犬。伯母が東風平のきび畑からヨレヨレの状態を拾ってきた。私が１８歳の秋頃だったので、もう１３年も前の話になる。

　

　同じ年の夏、父が死んだ。

　

　悲しみに暮れる弟妹の希望により飼うことになったが、困ったことに当時の私は犬が大の苦手であり、同じ部屋にいる時は食事をするのも嫌なほどであった。しばらくはかなり苦痛だったのを覚えている。

　

　ある日お腹をこわして眠るきびが気になり、夜中に何度も様子を見に行った。ダンボールから見上げる黒い瞳。ゆっくり背を撫でると薄い皮膚、やわらかくあたたかな生き物の鼓動。日を重ねるごとにきびは私になついていった。なつかれるとやはり可愛いもので私はすっかり犬好きになり、それどころか嫌がるきびの肉球をむりやり嗅いでは喜ぶまでになってしまう。

　

　実家を出る時、きびも一緒に連れて出た。私は今まで６回引越しているが、思えばすべて一緒だった。そしてどんな時でも私に「大好き」を一途にぶつけ続けた。犬とは不思議な生き物である。どうしてそんなに人を信じられるのか。

　

　きびは今年の夏、静かに息を引き取った。

　

　拾ってきた時すでに成犬だったので、推定年齢１５歳。大往生と言えるだろう。

　

　もっとしてあげられたはずでは・・・悔いは尽きないが、真っ直ぐ見上げる黒い瞳はこれからも私をあたため続ける。

　

（夜カフェ「rat&sheep」共同経営者） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/08/28/191.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>三つ子の味覚百まで。</title>
		<description>






首里城の鎖之間（さすのま）にて。かなり美味しい琉球菓子とさんぴん茶のセットは300円でおすすめです



　

　夏休みに入り、子供たちの元気な声や姿を目にする機会が増えてきました。独身貴族の城（＝我が家）にも、兄夫婦が５歳と３歳になる姪を連れてアメリカから遊びに来ており、そのかわいい姿に毎日頬が緩みっぱなしの私。我が家は兄だけでなく姉も外国に住んでおりますので、私にとって甥にあたる姉の子供も外国生まれ、外国育ち。そうなると、みんなが日本に帰ってきたときには、そりゃもう食べ物で苦労するんですよー！

　

　…と言いたいところなのですが、これがまったくの無問題。この３人のちびっこたち、きちんと家で作った食事ばかりを食べて育っていますので、とても味覚が発達しているんです。野菜も魚もモリモリ食べる。さらに、美味しいと美味しくないはよくわかる。

　

　最近、私の食に対する考え方や、どこで料理を学んだかなどを聞かれることがあります。そのたびに私は「ほとんど家から学びました。」と答えています。私の家は母がきちんと毎食作ってくれる家庭でしたので、それをただ普通に食べていただけなのですが、大人になってみると、そのことがどれだけ自分の舌＝味覚を育ててくれたかがよくわかります。もちろん外食もしました。でもそれは、家で食べられない特別なものを食べるときだけですので、その特別な喜びというものもまた、鮮明に記憶として舌に残っているものです。

　

　「おかあさんが家族のためを思って作った料理を食べる。これが最良の食育だ。」と強くそう思います。

　

（沖縄シニアの会事務局長） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/08/11/189.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>かわいい　ちから</title>
		<description>






甘いもの好きな男も。　ぱく



　

　甘いものが好きな女性は多い。

　

　パフェやスコーン、ケーキをお出しする瞬間の反応は結構快感だ。

　

　かわいいー！　おいしそうー！　きれーい！

　

　むふふ、である。

　

　さっきまでおしゃべりに夢中だったお客様が、皆一様に無言。もくもくと食べる。

　

　かわいいのう、とこちらも目を細める。

　

　女性が楽しんでいる姿はいい。

　

　何でも「かわいい」と表現する女性も多い。

　

　「かわいい」という言葉は便利で、一見安易なものだが、女性が生きていくにはなかなか必用不可欠で自然な感情表現だと思う。

　

　私はまだ出産経験はないが、友達の子育て風景を見ていると、計り知れない「かわいい」が立ち上って彼女を支えているように見えた。

　

　確かに私も以前保育士をしていた時「うちのクラスの子たちが一番かわいい」と思っていた。そしてその思いが支えとなっていた。

　

　からからに疲れた日でも、自分のなかから湧き上がってくる「かわいい」と思う感情。

　

　そこに照準を合わせ、自らの余力のようなものを確認した。

　

　選択する自由がある分、悩みも多岐にわたる今を生きる女性たち。

　

　子ども、動物、その他もろもろ、自分の「かわいい」を力にして生きている人も多いだろう。

　

　がんばる女性たちを応援すべく、喜ばれるお菓子を作っていきたい。そして喜ぶ女性たちから私もまた力をいただくのだ。

　

（夜カフェ「rat&sheep」共同経営者） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/07/28/186.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>沖縄シニアの会って何？（２）</title>
		<description>






就職基礎セミナー受講生のみなさんと。若者と高齢者が共働できるのも、沖縄シニアの会ならでは。かな？



　

　働く場所は自分で作る！を合言葉に設立した沖縄シニアの会。主婦の経験を生かせる就労の場「あかね食堂」を開店したのはちょうど一年前でした。開店当初、就労希望の方にお断りしたのが、「利益がでたらそれをみんなで分配します。利益がでなかったら負も分配です」ということ。代表の石橋だって無職の高齢者。働く場所を作るということは、こういうことでしか実現できなかったのです。当然たくさんの方が働き、たくさんの方が辞めていきました。しかしそれを乗り越えた仲間と、ようやく今、自分らしい仕事ができ、それに見合った対価を得られる場所が作られてきたように思います。販売が好きな人は販売を、事務が得意な人は事務を、調理の人だって、農作業担当だっています。時給制、歩合制、無給の人、男性も女性もいる。みんな違ってみんないい。そんな新しい高齢者の居場所づくりの、ほんの少しの光が見えてきました。

　

　自分らしく働き、自分らしく生きる。それが現代の高齢者のニーズならば、それにこたえたいのが沖縄シニアの会。その実現のためには、関わった人全員が痛みも分けなければいけないときもあります。でもそれでこそ得られる喜びも大きいはず。その日を夢見て、今日も明日も前進あるのみ！「やだ、私ったらカッコイイことしてる」と自画自賛で進むのみ！（笑）　高齢者が、社会に、誰かに必要とされていることが実感できる場所、それが沖縄シニアの会であることを信じて。

　

（沖縄シニアの会事務局長） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/07/14/184.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>待ち時間</title>
		<description>






そして、今日もパンを焼く



　

　雨の合間、時折強い日差し。

　

　夏。パンの発酵が早くなる季節。

　

　過発酵になるとおいしさが逃げてしまうのでまったく油断ならない。

　

　当たり前のことだが、発酵するタイミングは微妙に日々変化する。作る時間帯にもよるし、天気や湿度でまるで違う。

　

　またここだけの話、私の心理状態もパンに大きく影響する気がしてならない。うきうき気分の日はなんとなく高さが出てまあるい。　めそめそしている日は、どこか湿っぽい味がするのだ。

　

　気持ちに余裕がある時は、パンの小さな声にも耳を傾けられる。逆に余裕がない時は聞き逃してしまうのだろう。

　

　パンの方もこちらに耳を澄ましている。

　

　最近つくづく「待つ」ことの大切さを学んでいる。どんなに急かしても私のパンは発酵に約４５分時間がかかる。成形してまたさらに２次発酵４５分。

　

　その間、生地はゆっくり変化していく。

　

　きっと何事にも良いタイミングがある。必要な分、時間が来るまできちんと「待つ」。

　

　自分のなかにいまだ続く待ち時間の数々は、然るべき時何かに変わる。

　

　待ち時間をどう過ごそう。

　

　自分に耳を澄ます。

　

（夜カフェ「rat&sheep」共同経営者） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/06/24/182.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>沖縄シニアの会って何？</title>
		<description>






活動の一つ、農業サークル「畑風（はるかぜ）」の定例会。さてどんな野菜を植えようか？とやる気満々です



　

　そういえば沖縄シニアの会のことを紹介していなかったことに気づきました。

　

　そもそも沖縄シニアの会は、代表の石橋桂子が自宅のリビングを開放して１人で始めた会でした。縁あって沖縄に移り住んだものの、友人はいない、仕事はない、土地勘もない。だからといって残りの人生を嘆いて過ごすわけにはいかないのだ、とにかく人が集まれるような場を作ろう。と、うちの代表はそんな人物なわけですが、そのおかしな活動を取り上げてくださる新聞や雑誌、テレビのおかげさまで、いつの間にやらぶわーっと広まってしまったシニアの会。一時は会員が70名を超えることもありましたが、何せ無計画が計画だ！というような会でしたので、満足な活動もできず、今ではすっかり落ち着いたもの。計らずも、やっと普通に活動計画を立てられる時がきたというような状況です。

　

　では最近は何をやっているかと言いますと、相変わらず「高齢者の働く場を作る」という目的は変わってはおりません。ただ、この「働く」という言葉の持つ意味合いが、高齢者の場合、社会に必要とされていることが実感できる活動をする＝いきがい作り、そこにこそ意義があると考えています。ですので、若い人の働き方と同じでは、高齢者の経験や知識を生かした誇りある仕事はできない。その人それぞれに合った働き方を、シニアの会と会員さん双方で作っていく必要があるようなのです。

　

　…ああ、時間です。この続きはまた来月ということに。

　

（沖縄シニアの会事務局長） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/06/11/180.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>鼠と羊</title>
		<description>






初期の村上春樹の物語には鼠と羊が出てくるよ。ぜひ読んでみてね



　

　初めて来店したお客様に、店名の由来をよく聞かれる。

　

　「rat&sheep.ねずみと、ひつじ・・・？」

　

　飲食店に鼠とはこれ如何なものか・・・最初はまわりに反対されたらしい。が、店主はこれを通した。

　

　鼠と羊は、子と未。

　

　経営する私たち二人の干支である。

　

　「mouse」ではなく「rat」なのは音の響きが良かったのと、アナグラム（※）にすると「art」になるからだという。店主ことタイラジュンは写真家としての顔を持ち、写真雑誌「LP」を親友の松本氏と季刊で作っている。

　

　それもあって名前の通りアート関係の話が集まる店になったが、それ以外のきっかけで来店するお客様ももちろんたくさんいらっしゃるので近所のおじちゃんも、第一線で活躍中の作家さんも一緒に寛いでいる夜があったりしてなんだか楽しい。

　

　見るからに歩幅が違う二匹が、一緒に歩くのはやはり大変である。鼠はくるくる回転し、羊はよく迷う。ひとつの場所を目標に、お互い思い合って行かなければならない。

　

　ただもし違う干支同士だったら、と想像すると「鼠と羊」アンバランスながらなかなか似合いの二匹だと思うが、どうだろう。

　

（夜カフェ「rat&sheep」共同経営者）

　

※アナグラム＝言葉のつづりの順番を変えて別の語や文を作る遊びのこと </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/05/26/178.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>滋味弁（ジミベン）から百菜（ひゃくさい）へ</title>
		<description>






久茂地交差点のお昼のヒトコマ。おなじみさんも増えてきて、あかねちゃんにも笑顔がこぼれます



　

　沖縄シニアの会が運営する「自助工房あかね食堂」では、かあさん（別名・あかねちゃん）たちが、日々手作りのお弁当やランチを作っています。

　

　このお弁当は「かあさん弁当」という名前で那覇市役所内や久茂地交差点で販売しており、地味に、それはそれは地味に売れているといった現状。ですがこの地味なお弁当は、かあさんたちの知恵と愛情と、まさに「滋味」がたっぷり詰まっているスペシャル料理。弁当という形をとってはいますが、一品ずつ皿に盛りなおすと、立派なお食事として食卓に並ぶことができる、さらには食育にもつながる代物なのです。

　

　そして今、そこから進化した「百菜弁当」なるものを新たに考案している当会代表の石橋さん。ええ、私の母ですが。沖縄でとれる野菜やお肉、お魚をふんだんに使うのはもちろん、健康に配慮し、さらには五感で楽しめるパワーアップした滋味弁を作るべく、毎日奮闘しております。私も経験は浅いながらもお手伝い。お弁当から何かを伝えることができればと、期待に胸ふくらませております。

　

　長いようで短かったゴールデンウイーク。私たち親子は、行楽に出かけるわけでもなく、家でずーっとこんなお仕事の話ばかり。３０代の独身オンナがこれでいいのか！？　みんな今頃何してるの！？　と一瞬焦りもいたしましたが、まあ楽しいんだから仕方ない。今日も明日も明後日も、試作品を作り、仲間と飲む！　それが私の人生の春。…なのかしらん？

　

（沖縄シニアの会事務局長） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/05/12/176.html</link>
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	<item>
		<title>はじまり、つながる場所</title>
		<description>






1982年頃波の上宮前にて　母と私



　

　もし、私が写真家だったら。

　

　愛するこの若狭の町並みを撮るだろう。ぼんやりそう思ったのは確か高校生のころ。

　

　写真家にはならなかったけど、この連載のお話をいただいた時、初めに浮かんだのは子どもの頃過ごした若狭の風景だった。

　

　カフェのカウンターに立っていると、色々な人と話ができる。それぞれの世界のなかで生きる人々と出会うたび、この方は子どもの頃どんな子だったのか気になってくる。山のふもとで育った人と都会で育った人はやっぱり何かが違う。土地が人のある部分を育ててくれるとしたら、若狭で育った私はきっとずっと若狭とつながっている。

　

　古いアパートや家屋、芝生のある公園、拝所、神宮、学校。でもすぐ裏には妖しいネオンが光る歓楽街。それらどれもが潮を受け、錆付いた風合いをしている。海が近いのだ。

　

　先日近くを通ったら、海の上で大きな工事をしていた。

　

　変わっていく景色に胸は痛むが、帰る場所であることに変わりはない。

　

　今、私は浦添市港川の外人住宅で夜カフェを経営している。

　

　昼間お店の周りで遊ぶ近所の子ども達を見ていると、ここが彼らの風景であることを思う。

　

　そして共に作り、育つ、毎日を思う。

　

（夜カフェ「rat&sheep」共同経営者） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/04/28/172.html</link>
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	<item>
		<title>最後の晩餐は？</title>
		<description>






手前味噌ですが、安い・旨い・安心の、沖縄シニアの会が運営するあかね食堂「かあさんランチ」です



　

　はじめまして。沖縄シニアの会・鬼の副長こと、イマキトモコと申します。大学では方言学を専攻しましたが、気づけばずっと「食」に関わる仕事をしています。現在私が所属している沖縄シニアの会でも、配食活動や県産食材を使用した商品開発など、やはり食べ物に関する仕事が中心です。

　

　数年前、人見知りをするくせに飲食店を経営してしまった私は、苦手なお客様との会話を盛り上げるために、よく「あなたの最後の晩餐は？」という質問をしていました。ちなみにこれ、以前久米宏さんが司会をしていたニュース番組の一コーナーのタイトル。

　

　最後の日だから豪華にいきたい！という人、大和魂が疼くのかやたらと白米にこだわる人、せっかくなので食べたことがないものを食べたいという人、普通には答えてくれないひねくれ者…。人となり、とまではいきませんが、その人の内側がチラっと見えて、自然と仲良くなれてしまうこともありました。

　

　そんな私の最後の晩餐は、「凍(し)み豆腐と三陸ふのりと大根葉が入ったお味噌汁」と「ご飯」。いくら長く沖縄に住んでいても、最後はやはり東北の血が騒ぎます。ただここで問題なのがご飯のお供。今のところ「青森のとろろ」が一番有力ですが、お味噌汁の存在感が薄れるな…とか、マグロものせてやろうか？などと雑念が入り、未だ定まっておりません。

　

　食べなければ死んでしまう私たち。

　

　明日世界がふっとんじゃう！　そんなとき、あなたは誰と何を食べますか？

　

（沖縄シニアの会事務局長） </description>
		<link>http://column.ryuchan.jp/2010/04/14/170.html</link>
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