2010年12月22日 水曜日

赤い空の街

2006年12月20日のコザの空
2006年12月20日のコザの空

 

 日が沈んでからコザの街の空は、うっすらと赤くなる。基地のオレンジの灯が空を染める。日が暮れてから、赤い空の下、薄暗いすーじー(路地)を「中乃湯」(今や沖縄では数少ない貴重な銭湯)やおでん「京香」に向けて散歩している時が、いちばんコザにいることを感じる特別な時間だ。昼間は空を切り裂く戦闘機の音が鳴り響き、日が暮れたら空は赤く染まる。日常のなかで基地は常に隣り合わせだと感じさせる。湿度が高い曇りの日は、よけいに赤く染まる。この写真を記録した日は4年前、いつものように「中乃湯」「京香」コースの道すがら空を見上げたら、いつにもまして赤く染まっていた。偶然12月20日だった。

 

 1970年12月20日コザ暴動から今年で40年。この街に来てから、この日の出来事について皆さんの体験談をたくさん聞いてきた。アメリカァに対してのコザの人々が溜め込んできた怒りが爆発した日。米軍支配の象徴であった黄ナンバーが赤い炎に包まれ、いったいこの街の空は何色に染まったんだろう。決して交ざり合い消えることないコザのことだから、赤や黄色のまま、見る人によって多様な色を見せたことだろう。コザ暴動の翌朝、放火された車をカメラで一台ずつ撮っていった方が「コザのDNAは、決して途絶えない」と言う。コザのDNAってなんですか? と聞くと「横のつながり」と言った。戦後、ふるさとを離れてやってきた人々が、特異な日常のなかで生きるために築きあげた街で「横のつながり」と聞くと妙に納得してしまう。コザDNAは、この街を愛する者たちにくっきりと刻まれていく。

 

(「スタジオ解放区」共同代表)

執筆者:林僚児・千夏 | 話の玉手箱コメント (0)

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2010年12月8日 水曜日

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執筆者:與那友彦 | 話の玉手箱コメント (0)

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